ドキュメンタリー

ドラマ「ナポレオンの村」モデル高野誠鮮さんとは?神子原米とは?「夢の扉」

7月19日放送「夢の扉」(ナレーション向井理)で紹介される、
石川県羽咋市役所の高野誠鮮さんと
高野さんがブランド米にした「神子原米(みこはらこめ)」とは?

高野誠鮮さんとは?

高野誠鮮(たかのせいせん)さんは、1955年生まれ石川県羽咋市出身で、
30歳まで、テレビ番組の構成作家などをしたあと、
1984年に実家の寺を継ぐために羽咋市にUターンしました。

市の臨時職員となって、
最初の仕事は街づくりに関するもので、
市内で発見された古文書に、宇宙に関することがあったためコスモアイル羽咋を作り、
年間10万人が来るようになりました。

2005年、過疎高齢化が進んで限界集落となっていた
神子原地区を活性化し、農作物を1年以内にブランドかする、
というプロジェクトの担当となります。

しかし、年間予算はたったの60万円。

当時、神子原地区のコメは農協を通して販売していて、値段は農協の言いなりで
農家の収入は低い状態でした。

高野さんは、高齢化の進行を止め、限界集落を脱するために、
空地や農家を若い都市からの移住者や学生に貸す、という提案をしたり、
神子原米を直売する会社を設立するなどの提案をしましたが、
農家を集めた集会では非難が飛び交いました。

灰皿まで飛んできたと言います。

高野さんが米50キロを売り切ったら、農家も言うことを聞く、
という話になり、
高野さんの「ブランド米作戦」が始まりました。

神子原米とは?

といっても最初はどうしたらいいのか、全く手はなかったのだそうです。

まず、神子原米(品種はコシヒカリ)は、ブランドにできる米なのか?
を調べると、
経済誌の美味しいお米ランキングで全国第3位であることは分かりました。

次に、高野さんは、いわゆる「御用達」にできないか、宮内庁に交渉したのですが、ダメでした。
そこで高野さんが考えたのは、日本でダメなら外国へ、ということです。

アメリカのブッシュ大統領や、ローマ法王庁に手紙を送っていたところ、
ローマ法王庁大使館から連絡があり、
橋中義憲市長と共に大使館に赴きました。

バチカン大使は

「神子原は500人の小さな集落であり、バチカンは800人の世界一小さな国です。神子原米を架け橋にさせていただく」
と言って、50キロ受け取ることになり、

高野さんが「ローマ法王献上米と銘打ってもよいでしょうか」と尋ねると
許可がおりました。

このことがカトリック新聞に掲載され、2日後には、東京のカトリック関係者から50俵の注文が入り、
一般のマスコミで報道されると700俵の米が売れました。

神子原米はどこで食べられる&買えるの?

今では全国から注文が殺到している神子原米は、

羽咋市のブログでも受付をしています。

http://www.is-ja.jp/hakui/akinori_kimura/news/rice.html

また、NOTO MIKOHARA(http://mikohara.com/)でネット通販しているのですが、
平成26年度産はすでに完売です。

お店では金沢市の「菜喰 安心院(さいじき あじむ)」

東京・門前仲町の「美のり」は

神子原米を使っているそうです。

高野さんの次の挑戦「奇跡のリンゴ」とのタッグとは?

高野さんの次の挑戦は、
羽咋市の農業を「自然農法」にすることです。

そのため「奇跡のリンゴ」で有名な、木村秋則さんと協力し、
羽咋市では、自然栽培の普及に農協が協力して
「自然栽培実践塾」を行っています。

農協が、農薬も肥料(自然農法では化学肥料はもちろん、有機の堆肥も使いません)も使わない
農法に協力するのはとても珍しいと思います。

また100%自然栽培米を使った米粉パンの開発にも取り組んでいます。
今のところ、コストがかかるのが難点のようです。

神子原地区は2009年高齢化率が7%ほど減少して
限界集落から脱しました。

ドラマではどんな風に描かれるのでしょうね。



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