2016年4月15日放送「爆報!THEフライデー」は
失踪して消えた美人紅白歌手K…マスコミから「男と駆け落ち」などバッシングを受けた… 事実は違っていた!「監禁されていた」今夜初めて真相を全て語る!
という予告が出ていますが、
美人紅白歌手Kは、門倉有希さん。
石川高等学校在籍時代に野球部のマネージャーとして甲子園に出場し(当時は女子マネージャーはベンチ入りはできませんでした)、甲子園と紅白の両方に出場した女性歌手。
CONTENTS
失踪事件とは?
門倉有希さんは、デビュー半年後に、KBS歌謡祭をすっぽかし、
東スポの1面に「男と逃避行で失踪」と報道されました。
しかし、門倉さんは、その後半年間の自宅謹慎を経て復帰し、
1996年、第六回NHK新人歌謡コンテストで『女の漁歌』がグランプリを受賞し、その特典により、1996年の第47回NHK紅白歌合戦に出場しました。
この「失踪」が、逃避行やかけおち、さぼりではなく、
男性に監禁されていた、ってことなんですよね・・・
2014年夕刊フジインタビューでは「休養」と語る
「男と逃避行」と報じされた失踪について、門倉有希さんは、
2014年夕刊フジの「ぴいぷる」欄では、
「男と逃避行-とか週刊誌に書かれましたが、男性と逃げたわけではないんです。キャンペーンがつらくて、半年ぐらい休養しました。」
と語っています。
2015年アサ芸プラスでは「彼が原因であったことは確か」
その後、2015年アサ芸プラスのインタビューでは、もう少し詳しく、「男」のことについてコメントしています。
門倉さんの恋人と言われていたその男性は、歌手志望だったそうです。
デビューから後、連日のお客ではなくレジの店員相手にラジカセで歌うようなキャンペーンに
ギャップと疲れを感じていた門倉さんは、その彼の家でゴロゴロし、
お給料のほとんどを遊びやお酒につぎ込んでいたと語っています。
そして最優秀新人賞に決まっていた福岡の「KBC新人音楽祭」をすっぼかしました。
事務所の社長が福岡に謝罪に生き、門倉さんは福島の自宅で謹慎となりました。
しかし、事務所に届くファンレターを社長が定期的に持ってきてくれており、
ある日、社長から「もう一度歌うか?」と尋ねられ、門倉さんは再起を決意した、という内容です。
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これは「男性との駆け落ちや逃避行ではないが、門倉さんが自分の意思で仕事からドロップアウトした」という内容にしか受け取れません。
しかし、4月15日放送の「爆報!THEフライデー」の内容は
門倉さんは、男に監禁されており、洗脳されていたため逃げる気がなかった、
ということなんです。
門倉有希さんの壮絶監禁生活
番組で「彼氏に監禁されてた」と告白した門倉さん。
1988年、中学3年生の門倉さんは歌手のオーディション会場で、同じ年の少年Aと出会い、
4年間文通を続け、高校卒業後上京した二人は同棲を始めました。
上京から1年後、門倉さんは演歌歌手としてデビューして新人としては異例の20万枚のヒットとなりました。
その年の新人賞を総なめにした門倉さんにたいして、デビューすら決まらないAは嫉妬から門倉さんを拘束するようになりました。
ある日Aとの約束があった日に、急にスタッフとの食事会が入った門倉さんは23時過ぎに帰宅しました。
すると、部屋には切り裂かれた衣装がかかっており、Aは指輪をした手で門倉さんの顔を殴りました。
しかし、直後に誤った男を、門倉さんは許しました。
そのころ、門倉さんはバタードウーマン症候群に陥っていました。
暴力を受けた直後に極端に優しくされると、心の均衡を失い、暴力を受けるのは自分のせいだ、と思い込むようになります。
KBS歌謡祭の日、Aは門倉さんを包丁で脅して監禁しました。
その後、買いだめしたカップラーメンのみを食べ、トイレ以外は見張られている状態の監禁生活3日目
門倉さんは一度逃げようとしたのですが失敗。
学習性無気力状態になった門倉さんは逃げる意欲をなくしてしまいました。
しかし、監禁生活6日目に、電話をとったAが「明日の7時に伺います」と返事をしたのを聞いた門倉さんは、
翌日、Aが出かけたときに逃げようと決心。
それでもワナかも?と思いなかなか行動することができなかった、と言います。
勇気を振り絞って逃げ出し、決死の覚悟で実家に電話し、福島の実家に戻ることができました。
両親からは被害届を出すように勧められましたが、イメージを傷つけることと男からの復讐を恐れた門倉さんは被害届を出しませんでした。
しかし、そのために芸能界を干され、ストレスから拒食症になって57㎏の体重が39kgまで激ヤセしてしまいました。
窮地を救った猫とは?
番組予告では、門倉さんは猫に窮地を救われた、とあります。
実際、門倉さんは今、猫専用のマンションに8匹の猫と暮らしているんですね。
猫を飼い始めたきっかけは、
地方コンサートの駐車場で捨てられていた子猫を拾ったことだった、とあるインタビューでは語っていましたが、それはウソで、
本当は、実家で療養していたときに拾った子猫でした。
(それまではキャンペーン周りもあるので、猫を飼うことは事務所に禁止されていたそうですが
内緒で飼い始めたのか、監禁のことがあるので事務所もOKしたのか?)
しかし、リボンと名付けて可愛がっていた猫は、3年後に死んでしまいます。
体調の異変に気が付けなかったことを後悔した門倉さんは、今度買うときにはきちんと勉強しよう、と考え、
通信教育で「小動物介護士」「小動物看護士」「ドッグシッター」の資格を取得しました。
2015年に「長生きねことの暮らし支度」という本も上梓しています。
この写真は、アルバム「門倉有希プレミアムベスト~気まぐれ女の恋心~
」とも同じで
本当に猫が好きなんだな、ということが伝わってきますね。
紅白出場歌手門倉有希さん失踪は監禁だった「爆報!THEフライデー」 まとめ
気になるのは、
門倉さんを監禁していた、歌手志望の男性はどうなったのか?
なぜ今になって真実を告白しようと思ったのか?
という二点です。
監禁だったということは刑事事件になっていないのであれば、
男性が再び門倉さんにちかづいたり危害を加えたりする可能性もあったし、
その点は事務所や本人はどう対応していたのでしょうか?
そこは番組でも語られませんでした。
今年になってから、門倉さんは元NHKで現フリーアナウンサーの宮本隆治さんどのデュエットで、
亡くなった三木たかしさんの未発表曲「恋猫」を出していますので、
過去の「失踪事件」というイメージを一新したい、と思ったのでしょうか・・・