2015年2月18日放送「ザ!世界仰天ニュース」
大感動…涙があふれるスペシャルで
31歳で亡くなった福岡ダイエーホークス(当時)の
藤井将雄さんが紹介されます。
藤井将雄選手とは
藤井選手は、1994年にドラフト4位指名で
福岡ダイエーホークスへ入団しました。
背番号は15でした。
入団当初は先発投手でしたが、途中から中継ぎに転向し、
1999年のダイエーホークスのリーグ優勝に貢献しました。
しかし、1999年の夏頃からマウンド上でも咳き込むようになり、
日本シリーズ前の身体検査で異常が見つかり、
その後、末期の肺ガンであると診断されました。
本人には間質性肺炎と真実ではない病名を伝え、
「もう一度マウンドに上がりたいという気持ちがあれば病気を克服できるかも知れない」
と言う家族の頼みで
球団首脳も解雇をせず、
優勝に貢献した功績で年俸倍増で契約更新をしました。
2000年は入退院を繰り返しながら、
2軍の練習に参加して2軍戦6試合に登板するまでに
回復したのですが、
すぐに1軍に来い、という王監督の言葉に
「2軍で成果を出していないから」と固辞し、
結局最後まで1軍で登板することはありませんでした。
入院先は、福岡ドームのすぐ近くの、
国立病院九州医療センターで
入院後もサイトで日記を掲載し、
優勝を間近にしたチームメイトに励ましの言葉を送り続けていました。
しかし、本人の容体は
肺に水が溜まり続け、肺から管を通して
ベッドから起き上がることもできないくなっていました。
ダイエーホークスがV2を達成したのを見届けた後、
2010年10月13日に、藤井選手は31歳で亡くなりました。
宙に舞った人形とは?
2010年、福岡ダイエーホークスが優勝したとき、
監督の胴上げとともにある人形が胴上げされました。
この人形はホークスのキャラクターであるホークファミリーの1人(羽?)である
ハリーホークのマスコット人形で、
背中に「FUJII」「15」と手書きされていました。
1999年に、藤井選手が病気で入院したときから、
ロッカールームこのハリーホーク人形が置かれ、
「藤井ハリー」と呼ばれていたそうです。
2000年のシーズン中以降、優勝が近づくと藤井ハリーはベンチに置かれ、
胴上げにも毎回加わってきました。
この藤井ハリーはチームがダイエーからソフトバンクに変わった後も
ユニフォームを着替えてロッカーに飾られていました。
福岡ソフトバンクホークスは、2014年シーズンで優勝しましたが、
2014年10月には、藤井ハリー人形は
ご族の手元にあったそうです。
福岡ドームのロッカーには現在藤井選手のユニフォーム等が飾られています。