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80歳を超えてから海を渡りフィリピンの村を救った日本人とは?

2015年8月11日放送「ありえへん∞世界 世界と日本の知られざる絆スペシャル」

で紹介される、
80歳を過ぎてから海を渡り国際貢献に命を捧げ、フィリピンの村を救った日本人

について、この人ではないかな、と思うので
書いておきます。

その人は「中田正一」さんという方です。

中田正一さんとは?

中田正一さんは
1906年10月28日生まれ、兵庫県出身。

九州大学農学部を卒業し、戦後、農林省に入省し能郷回廊普及事業に携わってきました。
1963年 -に、ユネスコから委託により、
アフガニスタンにて農業技術カリキュラムを小・中学校に普及させる仕事のため
1964年まで現地に滞在し、農業技術指導を行いました。

しかし、1975年、69歳の時、
日本からの多額の援助金で、最新の農業機械を送っても
修理する部品も燃料も買えずに活用されていない、という事実を知り、

海外協力は、ものではなく人が出て行かなくてダメだ、

と考えるようになったそうです。

1984年 78歳のとき、中田さんは
千葉県大多喜町の古い家を購入し
「風の学校」という交際貢献のための人材育成の学校を立ち上げました。

そこで取り入れたのが
千葉県に古くから伝わる「上総掘り」という方法での井戸堀りです。

現地でムダになってしまっている農業機械の部品を利用して
井戸掘りができるよう、試行錯誤しました。

1年後、第1号の井戸が完成し、
フィリピン・ツプラン研修農場で掘った井戸で、初めて地下水を汲み上げることに成功しました。

その後、多くの途上国から井戸掘りの依頼が殺到し、
中田さんは風の学校の教え子と共に、世界中で300以上の井戸を掘りました。

最後に中田さんが取り組んだのが、フィリピンミンダナオ島のカガヤンデオロ市市バスラハンの井戸掘りです。

バスラハン、というのは現地の言葉で「ゴミ捨て場」という意味で、
住民の暮らしは貧しく、子供達がゴミをあさって暮らしているような状況でした。

中田さんは、井戸堀が始まった矢先に
脳腫瘍で倒れてしまいます。

そして1991年10月27日、84歳で亡くなりました。

井戸は中田さんが亡くなった後、
1992年6月7日に完成し、

井戸掘りに携わった人々の名とともに
「ありがとう ナカタ」
という文字が刻まれました。

中田さんが亡くなってからも、風の学校の卒業生は世界各地で井戸掘りに携わり
メキシコ・タラウマラでの活動が「タラウマラの村々にて」というDVDになっていますが、
学校自体はどうなったのかは、調べた範囲では分かりませんでした。



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