7月28日放送「世界の日本人妻は見た!」で
ポーランド在住の美人ピアニスト西水佳代さんが紹介されます。
西水佳代さんプロフィール
兵庫県伊丹市生まれのピアニスト。
1987年よりポーランド在住。
生まれ年や誕生日は分かりませんでしたが、現在40代後半のようです。
西水さんは、親がビアノ教師だったこともあって幼い頃からピアノを習い、
東京の音楽大学に進学し、
教授のすすめと、本人がショパンの曲が特に好きだったこともあり
ポーランドに留学しました。
・・・とこれまで別のテレビ番組などでは紹介されていたのですが、
実は小学生の時、お父さんが亡くなって母子家庭で育った西水さんは、
ピアノ教師であるお母さんの指導があまりにも厳しくて、
逃げたかった、と言う思いもあったのだそうです。
お母さんは、神戸大学でピアノを専攻したのですが、
自分も母子家庭でピアニストになることを大反対され、夢をあきらめて
ピアノ教師になったため、娘に夢を託していたのですね。
そして1991年に、ポーランド国立オペラ主席トロンボーン奏者の夫、ピョトルさんと結婚します。
音楽院で知り合ってつきあい始めた頃、突然日本からお母さんがポーランドにやってきて、
二人の交際にも当初大反対だったそうですが、最終的には認めてくれました。
そして結婚してしばらくたったころ、日本のお兄さんから、お母さんが末期ガンで倒れた、
と連絡を受けた西水さんは、急遽帰国。厳しかったお母さんは最期に、佳代さんをほめてくれたそうです。
子供は双子の男の子と女の子の3人です。
留学から4年後に結婚、その後の子育てで思うようにピアノを弾けない時期は12年間もあったそうですが、
2004年から8年間を描けて「フリデリク・ショパン全曲演奏」コンサートシリーズを行いました。
このコンサートは、毎年ショパンの誕生日(3月1日)と命日(10月17日)に、
ポーランドワルシャワ郊外のプルシュクフ市内の、
マゾフシェ古代冶金博物館のコンサートホールで開催されました。
その後、2005年からはショパンがパリで亡くなった時刻である夜中の2時に追悼演奏会も行っています。
。
2004年~2009年の6年間に12回の演奏会、
ショパンのピアノソロの全曲
2010年~2011年にはピアノ協奏曲2曲を演奏し、
演奏される機会の少ないオーケストラ伴奏の作品、室内楽曲および歌曲も演奏するなど、
ショパンが作曲したピアノ曲の演奏に精力的に取り組んでいらっしゃいます。
2005年に、プルシュクフ市における文化活動、
特に、2004~2008年の「フリデリク・ショパン全曲演奏」コンサートシリーズを評価され、
プルシュクフ市長賞「ウルプス・ノーヴァ」を文化部門で受賞しました。
申し訳ないことに、私は今回のテレビ放送で初めて
西水さんを知りましたが
地元で評価されているピアニストの方で、
きっと、クラシックの世界、とくにショパン愛好家の方達の間では有名な人なのだと思います。
演奏活動の一方ワルシャワ郊外ミハウォビーツェ村の自宅で
子供達にピアノを教えてもいるそうです。
ポーランドが親日国家な理由
番組では、ポーランド在住の日本人妻の紹介と共に、
ポーランドの人々の親日ぶりが紹介されますが、
なぜそんなにポーランドが親日なのか、というと
それは1919年のポーランド独立時に、ロシアと戦争状態になり、
孤児となってロシア側に取り残された子供達を日本が支援したためなのだそうです。
「ポーランド救済委員会」のアンナ・ビエルキエヴィッチさんとユゼフ・ヤクブケヴィッチさんが
日本に働きかけ、
第1次期には、1922年3月、日本政府は2度目の救済事業を行い、390人の孤児が大阪に運ばれ1~16歳の375人が日本に渡り、支援を受けたそうです。
1921年に当時の貞明皇后が子供達が保護されている施設を行啓された、ということもありました。
1922年3月、日本政府は2度目の救済事業を行い、このときには390人の孤児が大阪にやってきて
船でポーランドに帰国しました。
そういえば、ほとんど覚えていないのですが、
子供の頃、日本とポーランドの友好コンサートのようなイベントに行ったことがあります。
おそらく、1980年くらいことだと思うので、
ちょうど、ポーランドに民主化の動きが出てきた頃です。
また、昨年、劇団四季にポーランド王立バレエ団のダンサーだった
ツェザリ・モゼレフスキーさんが俳優として入団しています。
オーディションを受けたきっかけは、テレビで見た劇団四季の「ライオンキング」の映像だった、と聞いて、
なぜポーランドで日本の四季の「ライオンキング」が?と思っていたんです。
ポーランドでは私たちが思っている以上に日本への関心が高いんですね。