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荒木由美子20年間の認知症姑介護生活「駆け込みドクター!認知症は予防できるSP」

5月25日「駆け込みドクター!認知症は予防できるSP」

認知症の義理の母を20年介護した荒木由美子のケース

女優・タレントの荒木由美子さんが、
20年にわたって姑を介護した経験が紹介されます。

荒木由美子さんは、1960年(昭和35年)1月25日生まれ。佐賀県出身。
1976年(昭和51年)、第1回ホリプロタレントスカウトキャラバンで
審査員特別賞を受賞し、16歳で芸能界にデビューしました。

デビュー曲は「渚でクロス」。
ドラマ「燃えろアタック」「それは秘密です」などの多数のレギュラー番組を持ち、
女優、タレントして活躍しました。

1983年、23歳の時に13歳年上のタレント湯原昌幸さんと、
電撃結婚し、芸能界を引退しました。

湯原昌幸さんは、1971年に「雨のバラード」がヒット。

結婚31年目になる荒木さんと湯原さん夫妻は、
5月16日の「爆報!THEフライデー」には、
のスペシャルゲストとして、出演していました。

母一人、子一人の湯原さんだったため、
姑・吉の(よしの)さんとの同居の新婚生活。

ですが、
吉のさんは、23才の由美子さんを、
孫のように可愛がり、

3人で幸せな結婚生活が送れる、そう、由美子さんは信じていました。

結婚して2週間後に吉のさんが糖尿病で入院。
新婚生活の代わり、由美子さんは、介護に追われる、激動の日々となりました。

結婚1年後には長男が生まれたため、
育児と介護の両方を由美子さんが行うことになってしまいます。。

さらに、5年後の1988年、息子が幼稚園児になった頃
生活習慣病で入退院を繰り返していた
吉のさんが、認知症であることがわかりました。

認知症の症状は日に日に悪化していき、
孫を見て「由美子さんが若い男を連れこんだ」と騒ぐように。
由美子さんは、介護のストレスで髪が抜け、
手の震えが止まらなくなるなどの、神経症症状が出ていたそうです。

夫の湯原さんにとっても、
仕事場では笑顔でいても、
帰宅すれば地獄のような状況、と言えるほど、吉のさんの認知症は悪化します。

とうとう、精神的にキてしまった
湯原さんは、吉のさんの首に手をかけますが、
由美子さんがそれをすんでのところで止めました。

自宅での介護は限界と考えて、
由美子さんは吉のさんを連れて、
紹介された介護施設に言ってみましたが、

そこは精神科の施設で、窓に鉄格子が取り付けられているのを見て、。
由美子さんは「あまりに可哀想・・・」と、
そのまま自宅へ戻ったそうです。

その後、吉のさんは、病院に入院し、
転院のたびに病状は悪化しました。

こうして、認知症との壮絶な闘いは14年間続き、
そして2003年1月、吉のさんは、急性白血病により86歳でなくなりました。

意識をなくす3日前には認知症であるとは思えないほど、
由美子さんに感謝の言葉をかけ、
孫にも「昌幸にそっくり」などと言っていたそうです。

亡くなる直前に「言葉がきれいになる」というのは、
整体師の人に訊いたことがあります。

介護生活の間、湯原さんは妻に対し、
いつも「由美ちゃん、ありがとう」「悪いね」といった感謝の言葉を欠かさず、
口にしていたそうです。

だから、結婚31年の今でもラブラブなんですね。

そう言うときに、夫に対して信頼が揺らいでしまったら、
介護が終わったら離婚すると思います。

それでも、由美子さんは姑の他界で生きる気力を一時失い、
呆然としていたそうです。

そして、2004年に姑の20年間の壮絶な介護生活を
「覚悟の介護」を出版し、
20年ぶりに芸能界へ復帰しました。

現在は、旅番組やバラエティへの出演が主で、
ドラマなどには出ていないようです。



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