バラエティ

甲斐よしひろ蒸発した父について告白「行列のできる法律相談所」

5月11日放送「行列のできる法律相談所」で
「故郷に残してきた後悔はらしますSP」
の中の内容の一つとして、

甲斐バンドの甲斐よしひろさんが、
故郷福岡に帰り、行方不明になった実父について
初めてテレビで語るそうです。

番組予告では、

甲斐よしひろが故郷・福岡へ
壮絶!幼少時代をテレビ初告白!蒸発した父への思いとは?本人も知らない驚きの事実が

となっていました。

甲斐よしひろさんは1953年福岡市中央区柳橋で生まれ、
小学校5年生頃、初めてギターを手西、
高校1年で、地元のラジオ番組出演と伝説のライブハウス「昭和」での演奏を
一晩にして果たしたことが、

その後の、甲斐バンドとしての活動の原点、
ということはこれまでの
テレビ出演や、公開されているプロフィールで知られています。

一方、
実家は、理容室を営み、経済的にも余裕があったようなのですが、

1958年6月、甲斐よしひろさん5歳の時に、
父親が借金の保証人になっていた為の夜逃げ同然に、
福岡市南区大橋に引越し。

転居の直後に父親が蒸発してしまい、
このされた家族は、生活保護を受けるなど、しばらくは極貧の生活を送った
とういことはwikiにも書かれています。

ですが、たしかに調べた限りのテレビ番組で、
甲斐よしひろさん本人が、お父さんの蒸発について語ったことはなかったかも知れません。

最近のテレビ出演では、
2014年4月22日NHK「スタジオパークからこんにちは」と
そレに続き、
2014年4月26日にNHK「SONGS」に出演しています。

「スタジオパークからこんにちは」では、
甲斐バンドのドラムスだった松藤英男さんと博多を回り、
2004年に心臓疾患で急逝した大森信和さんのことを偲んだり、

お父さんが、アマチュアのマンドリン奏者であり、
その影響で、家ではジャズやロックが流れていた、
という思い出を語りました。

ですが、よく考えると、
5歳の時にお父さんが蒸発して、
極貧生活になったのだとしたら、
5歳までの記憶として、ジャズやロックが流れていた、とことを覚えていた、
というのは「?」という気もします。

それとも、
お父さんは蒸発してしまったけれど、お父さんが残したレコードなどを
家族で聞くことがあった、ということなのでしょうか?
・・・お父さんのせいで苦労した、という思いがあれば、
考えにくいことであるのですが。

その後、どうやって貧乏生活から抜け出たのか?
お母さんがすごく働いたのか、
親戚などの助けがあったのか、
なども今まではあまり語られていないと思います。

甲斐よしひろさんの妻・子供は?

甲斐さんの妻は、元女優の竹田かほりさん。

甲斐さんの次女、
甲斐名都(kainatsu、かい なつ)さんは、
2014年2月6日に結婚したことが公表されていますが、
相手の男性=夫については、

一般人なのか、詳細が明かされていないようです。

名都さんが次女、ということは少なくとももう1人、
娘さんがいることになるのですが、
長女についてはほとんど情報はないみたいですね。

一部情報で
甲斐彩名さん、
というらしい、という話がありましたが、未確認です。

名都さんが30才ですから、とっくに結婚してふつうのおくさんかもしれませんね。



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