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岡田眞澄のセレブ家族像はウソ?「爆報!THE フライデー」息子・岡田眞善激白

5月23日「爆報!THE フライデー」あのイケメン&美女の今を大追跡2時間SP見ました。

俳優、岡田眞澄(おかだますみ)さんの長男、岡田眞善(おかだしんぜん)さんが、

岡田眞澄さんの、

仲良しセレブ家族像

はすべてウソだった、と激白、という内容でした。

2018年10月23日、岡田眞澄さんの長女、岡田朋峰さんがミスインターナショナル日本代表になり、ニュースになりました。
朋峰さんは、岡田眞澄さんが眞善さんの母親である藤田みどりさんと離婚後に結婚した、JALのCAだった女性との間に生まれた長女で、眞善さんにとって異母妹にあたります。

葬儀での岡田眞善さんのスピーチ内容

そもそも、岡田眞澄さんが、2006年5月に末期癌で、亡くなった際、
葬儀で息子の眞善さんは、スピーチの中で、父を

「岡田眞澄が皆さんを騙してきたように、僕も騙されていたのかも知れない」
「ある点では軽蔑すべき人間」

と批判し、その様子は動画として残っていました。

葬式の席でのことですから、

騙す、とか、軽蔑するべきとは、どういうことなのか?

様々な憶測を呼びました。

葬儀から8年経過し、番組スタッフが眞善さんを、浜松町にある文化放送に尋ねると、

眞善さんは、その真因を語りました。

岡田眞澄さんプロフィール

岡田眞澄さんは、
父・日本人(日本人画家の岡田稔)、
母・デンマーク人(インゲボルグ・シーヴァルセン)のハーフ。

兄、E・H・エリック(岡田美里さんの父)に続いて、真澄さんも芸能界入りします。
真澄さんは、長身で、整った顔立ちの真澄さんは、映画「初恋カナリヤ娘」でデビューし、その後も映画「狂った果実」などに出演。

映画が斜陽となると、舞台での活動に転じましたが、
外国人俳優のようなセレブな生活を送っているスター俳優、というイメージで
後年は、とんねるずの番組で「ファンファン大佐」として人気を博しました。

私は1970年生まれですが、
岡田眞澄さんは、マドラスのCMや、バラエティのイメージはあってよくテレビでみていたような気はするものの、
テレビドラマの代表作、というとパッと思いつきません。

1972年に女優の藤田みどりささんと結婚し3人の子供が生まれました。

しかし、プレイボーイとして知られている岡田眞澄さんは、みどりさんの前には、パントマイマーのヨネヤマ・ママコさんと結婚。
その後、フランスのカンヌ映画祭の際に、フランス女優とのスキャンダルが、日本にまで報道され、それが原因でママコさんと離婚しています。

岡田眞澄さんは、一方で、「仲良し家族」のイメージを重視し、
親子揃って雑誌記事やテレビ番組に、よく登場し、ベストファーザー賞も受賞しています。

実は極貧生活だった?

ところが、実際の生活は、セレブの姿は嘘で、眞善さんが、
子供心にどうしてうちにはこんなにお金がないんだろう?と思うほどの極貧生活だったそうです。

撮影の時には、米国の家庭のように、三段重ねのパンケーキを食べても、毎日の食事は、ご飯味噌汁漬け物だけ。
(いや、それ食べていれば、実はすごく健康的ですから)

写真撮影やテレビ出演の時の服はすべて貸衣装。

テレビ局に行くときには、直前でリムジンに乗り換えるなど、
家族にセレブを演じさせていました。

極貧の理由は、
映画業界が衰退し、岡田眞澄さんは舞台俳優に転身したため、収入が減っていたのに、セレブのイメージを守るため、広い家に住んでいたためでした。

岡田眞澄さんが「ファンファン大佐」で注目され
ベストファーザー賞のホストやジュエリーベストドレッサー賞などを受賞すると
さらに上がったステータスを守るため宝石や洋服にお金を投じ、家族は貧乏暮らしを強いられたのだそうです。

眞善さんはバイトを掛け持ちして家計を支える一方、マスコミの前では「良き親子」を演じていました。

しかし、1994年に岡田眞澄さんは、突然家を出て離婚。
支えてくれた家族を捨てる形になってしまいます。

そして、1年後に一般人(元JALのCAの女性で26才年下。この女性との間に生まれたのが、2018年ミスインターナショナル日本代表となった朋峰さんです)と再婚しました。

その離婚時のインタビューで息子の眞善さんが応援してくれている、みどりさんからもメッセージが来た、と円満離婚をアピールした上、自分が出て行ったのに、みどりさんが出て行ったようにウソをつきました。

それについて眞善さんは、俳優としては一流だが人としては最低だと口にしました。

このことで、親子関係は決定的に亀裂が入り、そのまま2006年に岡田眞澄さんは、亡くなりました。

尊敬できる点も・・・

しかし、眞善さんは、父には尊敬できる点があった、とも告白します。

それは、眞澄さんが末期癌で亡くなる直前のこと、
呼吸も苦しい状態でも、病院の看護婦さんなどの前では、格好いいイメージを守り続けた父の姿でした。

岡田眞澄さんって、ミュージカル「ラ・カージュ・オ・フール」(ゲイのカップルを描いたブロードウェイミュージカル作品)に出演されていたんですね。

そのミュージカルで、ガウンを着て歩くシーンのように、病院の廊下を颯爽と歩いていたのだそうです。

その後、眞善さんは、自分も俳優として活動するようになり、眞澄さんの行動はウソではなく、カッコイイ自分でいることが俳優の仕事だとわかったと語りました。

眞善さんの告白について、ゲストのテリー伊藤さんは、
「岡田眞澄」を演じるためにはレンタル衣裳やリムジン乗り替えは当然で、
しかし、眞善さんは、お母さんを裏切ったのが許せなかったのでは、とコメントしていました。



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