1月4日放送「世界ナゼそこに日本人」で取り上げられる、
日本の警視庁の鑑識課に36年も在籍していた
タイで警察官として活躍している75歳の日本人男性、
戸島 国雄(とじま くにお)さん
を紹介します!
戸島 国雄さんとは?
戸島さんは1941年生まれ。
1960年 自衛隊入隊(習志野第一空挺団24期生)
1965年 警視庁巡査
1970年 警視庁刑事部鑑識課現場写真係
三島由紀夫割腹事件、日航機123便墜落事故、連続企業爆発事件、幼女連続殺人事件、トリカブト保険金殺人など
多くのの有名事件事故を担当してきた鑑識官でした。
戸島さんがタイ警察にかかわるようになったのは1995年のことでした。
当時、警視庁鑑識課に勤めていた戸高さんは、
JICA(国際協力機構)が派遣する専門官としてタイ国家警察庁に派遣されたのです。
そのころ、タイでは事件現場に、マスコミも野次馬も現場に入り放題が当たり前で、
現場保存という概念が乏しかったそうです。
戸島さんはその現状から変えようとしましたが、
タイ語ができるわけでもなく、知り合いもいない状態からのスタートで、
誰も話を聞いてはくれませんでした。
そこでJICAが用意した高級住宅から、普通のタイの人たちが住む下町のアパートに引っ越し、
多発する事件や事故の現場に必ず顔を出すようにしたそうです。
そうして一緒に捜査し、同じ屋台で食事をする、などするうちに信頼関係ができていきました。
戸島さんは、自ら撮影したタイの事件事故の写真を使い、タイ語で鑑識技術の教科書を執筆しました。
現在でも戸島さんが作成した教科書はタイ国ポリスアカデミーで使用されています。
戸島さんが警視庁で開発し、1993年に警視総監賞を受賞した「立ち入り禁止テープ」も
タイで使われるようになりました。
1998年にJICAの任期が終わり、戸島さんは日本に帰国。
しかし、2001年に警視庁を定年退職すると、タイ国家警察からの指名で2002年に再びタイに着任しました。
警察大佐、というトップから4番目の階級も与えられたそうです。
今回の番組では、さらに波乱万丈な戸島さんの人生について明かされそうですので、
放送後追記するかも。