Tips

「バーフバリ 伝説誕生」感想(ネタバレありです)

先週、丸の内ピカデリーで「バーフバリ2 王の凱旋」を見て
これってほんとはやっぱり「伝説誕生」から見るべきだったのでは?
と感じたので、Amazonプライムで借りました(399円)。

こちらも面白かったので、
感想をまとめます。ネタバレです。

バーフバリ「伝説誕生」

2015年公開 監督:S・S・ラージャマウリ

インド映画には、ムンバイを中心に制作される「ボリウッド」映画(北インド映画)と、
南インドで製作される映画があり、
バーフバリは南インド映画。ヒンディー語ではなく、テルグ語で製作されています。

インドの叙事詩マハーバーラタをベースにした、
古代都市マヒシュマティを舞台にした、
3代にわたる王権争い、陰謀、復讐の物語は当初から2部で製作されることが決まっており、
第1部「伝説誕生」は、「そこで終わるのー!!!」というところで終わります。

バーフバリ「伝説誕生」本編感想

VFXを駆使して描かれる、戦闘シーンの奇想天外な作戦などは
「王の凱旋」の方が数段、スケールアップしている感じ。
(映画館の大画面と、家の54インチとの違いはあるとしても)

でも「伝説誕生」も、シブドゥが育った村のはずれにそびえる巨大滝とか、
マヒシュマティ国の建造物とか(この国、建国からたった50年なんですよね。どうやって建てたんだ・・・)
の描写は圧倒されます。

オープニングが、地図上のマヒシュマティ国、かつてのクンタラ国、現在クンタラの一族が潜んでいる場所、が示されるのは結構洗練されているな、と思いました。

「王の凱旋」で、シヴァガミは赤ちゃんのマヘンドラ・バーフバリを連れて逃げますが、王宮を出てすぐにバラーラデーヴァに矢で射られて川に沈んでいました。
(見ていないと分かりにくいかもしれませんが、「王の凱旋」はカッタッパの回想シーンが長く、「伝説誕生」と時系列が入り繰りになっている)

しかし彼女は生きていて、矢が刺さったまま、滝の下まで逃げのびていました。
追手の兵士二人を撃退した後、シヴァガミは足を滑らせて川に転落し、自分が流れに沈みながら片手で赤ちゃんを水面に上げ続けていました。
これはなかなかすごい絵です。

翌朝、この村の人々が水面に掲げられている赤ちゃんを見つけて助け出し、シヴァガミは水に沈んでいきます。

村長の妻、サンガは子どもに恵まれなかったため、
赤ちゃんを自分の子どもとして育てる、と言います。

「文句があるものは殺す!」←「バーフバリ」の」女性キャラ、みんな苛烈です。

子どもは、幼い時から巨大滝に上ろうとしては失敗し、滝の上にはシヴァガミと子どもを殺そうとしたものがいる、と考えるサンガはそれをなんとかやめさせようと苦心していました。っつか、滝から落ちるの危ないですからね。

5才くらいのシブドゥ、10才くらいのシブドゥはすごくかわいい。
アマレンドラとバラーラデーヴァも少年時代は、ジャニーズ系か?というほっそりした少年なのに、
25才であのおっさん(よく見ると老けているわけではないのですし、かっこいいんですが、ガチムチです)ぶりはいったいどうなっているんでしょうか?
いやまあ、俳優さんの実年齢は20代ではないでしょうが。
あとやっぱり日本人は、よく言えば若く見える、悪く言えばいつまでも子供っぽい、のかも。

たくましすぎるくらいたくましい青年になったシブドゥは、相変わらず滝に上ろうとしては失敗しています。
それをやめさせるために、シヴァリンガ(ご神体)に川から運んだ水を1000回掛ける、という願掛けをするサンガ。
母の身を案じたシブドゥは、巨大な石のシヴァリンガを担ぎ上げて、滝まで運び、
「永遠に水が掛けられている」ようにしてしまいます。

滝にぶちこんじゃうなんて、神様に対してどうなの?と心配になりますが、
行者をはじめとする村人みんなが感動して拝んでいるので大丈夫なのだと思います・・・

シブドゥはある日、滝に落ちていた女性の仮面に夢中になります。
仮面を置いていた砂に顔型がついたのを見たシブドゥが、周りに髪の毛などを描き加えて女性像を作り上げると、
その女性が天女となって現れ、シブドゥを滝の上に導きます。

滝の上でシブドゥは、その天女そっくりの女戦士、アヴァンティカに出会います。
アヴァンティカは、マヒシュマティ国のバラーラデーヴァに滅ぼされたクンタラ国の残党で、
25年間幽閉さているデーヴァセーナ妃奪還に命を懸けていました。

しかし、一方で、女性であることを捨てている自分の姿をふと寂しく感じる乙女心も持っています。
そんなアヴァンティカにこっそり近寄り、気づかれないうちにタトゥー(たぶん、ヘナタトゥーみたいな、描くだけのものだと思います。さすがに皮膚切られたら分かりそうなものだもの)を描くシブドゥ。

そして戦いながらアヴァンティカの髪形を変え、
木の実の汁でメイクし、服も着替えさせるというすごい手腕を発揮するシブドゥ。
メイク、で口紅は分かるけれど、
下瞼のアイカラーを入れて、囲み目メイクにするのがさすがインドだと感心しました!
砂に女性像を描いたときもですが、シブドゥの絵画センス半端ないです。

シブドゥとアヴァンティカは愛し合うようになりますが(インド映画お約束の、ラブシーンの代わりに歌と踊り。とてもきれいです)、
アヴァンティカには、デーヴァセーナ妃奪還の使命があり、彼女は1人でマヒシュマティ国に向かいます、
と思ったらあっという間にマヒシュマティ国の兵士に捉えられてしまい、シブドゥが彼女を救出。

そこでシブドゥの顔を見た兵士が突然「バーフバリ!陛下!」と叫んで命乞いするのですが、
他の兵士が押し寄せてきて、
それを防ごうとシブドゥ岩を倒したら大雪崩、と怒涛の展開です。

巨木の皮をはぎ取てソリにして雪崩から逃げるシーンは「けものフレンズ」を思い出しました。

シブドゥは足を痛めたアヴァンティカの代わりに自分が妃を助け出す、と言い、マヒシュマティ国に潜入します。

逃がそうとしたカッタッパを「必ず息子が助けに来る」と拒否していたデーヴァゼーナが
その気配を察知し「王が帰還した」とつぶやくところとか、
「王の凱旋」で若き日のデーヴァセーナが非常に強い女性、ということは知っていましたが、苦難と屈辱の25年を経て凄みを増しています・・・

この前の場面で、バラーラデーヴァから「あれから25年、お前の夫の名前を聞いたか?この国はバーフバリを忘れ去った」と罵倒されていた妃は、
民衆たちが「バーフバリ!」と叫ぶ声を聴き、いよいよ時が来たことを感じます。

アマレンドラ・バーフバリは死に、その息子もシヴァガミとともに死んだはずなのに・・・といぶかるバラーラデーヴァは、
衛兵たちを詰問します。
ここでシブドゥはまだ自分がマヘンドラ・バーフバリだと知らないわけですが、
王の前に出ると見せかけてカーテンに火をつけます。
その炎の向こうのシブドゥの目を見たバラーラデーヴァは、バーフバリと同じ目であると気が付きます。

火事の混乱に乗じて、シブドゥは妃を救い出し馬車に乗せて王宮を去りますが、
パドラ王子の追手に捕まります。
しかし王子が妃を侮辱するのを見ると怒りが爆発。兵士を全滅させ、王子の首をはねます。

そこには、アヴァンティカたちクンテラの残党と、
シブドゥを追ってきたサンガたち、村の人々も集まっていました。

カッタッパは、王子を殺したシブドゥに対峙しますが、
雷鳴の中でシブドゥの顔を見ると
「バーフバリ!」と叫んで跪く。

ここが膝からのスライディング土下座でなかなかすごい。

突然動き出した周囲の状況に呆然とするシブドゥは
カッタッパに「自分は誰なのか?」と尋ねます。

カッタッパは、
シブドゥは神とたたえられたアマレンドラ・バーフバリの王子である、と伝え、

マヒシュマティ国の王位争いの経緯を語ります。

初代のヴィクラマデーヴァ王は若くして突然亡くなった、としか言われませんが、
これも兄のビッジャラデーヴァによる暗殺、とも考えられるのかなあ。

あ、wikiには時を同じくして王妃も亡くなった、とありますが
王の死から半年後、アマレンドラを産んだ日に亡くなっています。

子どものころから、アマレンドラの方が実子のバラーラデーヴァによりも母親代わりのシヴァガミを大切にしていることが分かる場面があったり、

忠実な家臣でありながら奴隷身分のカッタッパたちが外でごはんを食べているのを見て、
「自分も同じ場所で同じものを食べる」という場面があったり、

アマレンドラ王子が家臣たちや民から大人気なのも納得。

アマレンドラ・バーフバリとシヴァガミの実子バラーラデーヴァが
カーラケーヤ族と戦う場面は、「王の凱旋」でもあるのですが、

「伝説誕生」の方が、
シヴァガミに、アマレンドラの方が王にふさわしい、とされる
理由がわかる場面がたくさんあります。

バラーラデーヴァはマッドマックス戦車で人質になっていたマヒシュマティ国の人たちを殺しちゃってるし。

戦いの前に捧げる生贄についても、アマレンドラは牛を殺すことを拒否し、
「罪のない獣の血を流す必要はない。女神(カーリー女神だと思います)には自らの血をささげる」として自分の手のひらを切ります。

あと、シヴァガミはカーラケーヤ族の長を「生け捕りにせよ」」と命じているのですが、
王位を狙うバラーラデーヴァは、自分がとどめを刺した、という事実を作るためにアマレンドラがとらえた族長を殺してしまいます。

<追記>
他の方のレビューで、シヴァガミが「カーラケイヤの長を殺した方を王とする」と言った、というものがありました
私が勘違いしているのかもしれませんが、
確か、カーラケイヤの族長が、シヴァガミを侮辱したため、
激怒したシヴァガミが、「さらしてやるから生け捕りにしろ」と言った、という流れだったと記憶しています・・・

2で、バラーラデーヴァが「王位や王座に幸せがあるのではなかった、鎖で人を支配するのが自分の喜びだ」と語る場面があるんですが、隙あらばアマレンドラを殺そうとしたり、残忍な性格であることが「伝説誕生」でも端々に伺えます。
ただ、この残忍さや執着の強さは、人間がみんな持っている闇で、アマレンドラが身近にいなければ、はっきり表に出てくることはなく、バラーラデーヴァはそれなりの王さまとして一生を終えたのかもしれません。

配役も絶妙で、どちらもガチムチで顔はイケメン、といえる2人ですが、
バーフバリ役のプラバースは人の良さや陽気さを感じさせる顔立ち、
対して、バラーラデーヴァ役のラーナー・ダッグバーティはクールな感じがします。

女優さんでは、
アヴァンティカ役のタマンナーは、現代的な美人で、わりとスレンダーで、ヴィクトリアシークレットのエンジェルにもいそうなタイプ。
最近はインドでも美白が流行っているのでしょうか?かなり色白です。

アマレンドラと結婚した若いころには「美神も恥じいる」と言われた絶世の美女、デーヴァセーナ役はアヌシュカ・シェッティ。
こちらは昔ながらの南インド美人、というか、ちょっと二重顎なムッチリボディです。

インド映画はミュージカル?

よくインド映画はミュージカルと言いますが、
欧米系の、いわゆるミュージカルをよく見ている立場から言うと、
現在主流のミュージカルとはちょっと違います。

インド映画では、
登場人物個人の心情を歌うソロナンバーやデュエットは基本的には、
主人公とヒロインのものです。

普通のミュージカルではその他の人々も台詞の代わりに歌ったり、
その場にいる人たちみんなのコーラスがあったりしますが、
インド映画ではあまりそういう音楽の使い方はしないみたい。
たとえば、バラーラデーヴァやカッタッパのソロの歌はないんです。

主人公とヒロイン以外の歌は、
主に、場面の説明をするために歌が用いられることが多く、場面にいる登場人物は歌わず、歌が流れてきます。
ミュージカルでいうなら、影コーラス(舞台袖で歌う)ですね。
歌舞伎の音楽の使い方に似ているかも。

「伝説誕生」はダンスシーンは少なめ。
インド映画の典型的な、主人公の男女を中心に、大勢のダンサーが踊る、という場面はなく、

シブドゥを導く天女の舞と、
シブドゥとアヴァンティカが結ばれる場面の二人のダンス

くらいでした(バラーラデーヴァ黄金像建立式での踊り子たちの踊りは除く)。

で、インド映画では、直截的にラブシーンを描くことはできなくてその代わりにダンスシーンが入る
と聞いたことがありますが、
その点「伝説誕生」は結構大胆な描写がありました^^;
アヴァンティカが胸に巻いていた布を外してシブドゥに掛けるところから後です。
えーここまで出して大丈夫なんだーと感心。

追記:インターナショナル版は、ダンスシーンがいくつかカットされています。
シヴァリンガを滝に放り込んだ後のシブドゥのダンスや、
最近、ファンの間で話題になっている「マノハリ」というシーンなど。

「マノハリ」は、カーラケイヤに軍事機密を漏らしたスパイを追って、
バラーラデーヴァとアマレンドラが怪しい酒場に入り込んだシーン。
カットしたことで、ストーリーが凝縮された一方、
こういうシーン含めての世界観なんだよなーも思います。

一度インターナショナル版を見てはまったら、
そりゃ次は完全版を見たくなりますよねえ。

まとめ

やっぱり1を見た上で「王の凱旋」(英語ではconclusionなんですね)を見たほうが
よかったなーと思いました。

「バーフバリ」は感情の描写などが
日本人的に見るとベタ(分かりやすい、ともいう)というところはあるのですが、

伏線などの構成はとても巧みにできていて、
しかも1と2で時系列が入りくっているので、

1のここが2につながるのね、だけではなく、

2を見て1を思い返すと
なるほどね!ということもいっぱいあるんですよ。

ただ、カッタッパの剣術と忠誠心をたたえて
「何かあったら命に代えても助ける」といったカブールの商人は
どこかで出てくるっけ?と考えたのですが、
それはどこにもつながらなかったと思います。

それだけの人物であるカッタッパが、アマレンドラを「裏切った」と告白する
ラストシーンの衝撃をよります効果はあると思いますが。

で、私のように先に2を見てしまった人は、
後からでも「伝説誕生」を見ることをおすすめします。



関連コンテンツ


スポンサードリンク