2015年1月10日放送の
「世界一受けたい授業 日本に住む外国人がハマったJAPANフードベスト50」
で
桜田門外の変の原因のひとつともいわれる食べ物は?
というテーマが出てきます。
桜田門外の変は
幕末、
安政の大獄で多くの反幕府派を投獄、処刑した
大老井伊直弼が暗殺された事件です。
その桜田門外の変の原因一つが「食べもの」であるとは?
桜田門外の変の元となった食べものとは?
それは
牛肉
です。
「桜田門の変」が起きた後、
「食べ物の恨みおそろし雪の朝」 「大老が牛の代わりに首切られ」
という落首が作られました。
落首(らくしゅ)は、公共の場所、特に人の集まりやすい辻や河原などに立て札を立て
世相を風刺した狂歌を匿名で公開する方法で、
平安時代から江戸時代にかけて長く行われました。
江戸時代は獣の肉を食するのは禁忌でしたが、
「養生」を目的とした薬食いで食べることはありました。
井伊直弼が藩主である彦根藩は、
陣太鼓の皮を将軍家に納める役についていました。
そのため、彦根藩は牛の屠畜が認められており、
皮を使った後の牛肉を味噌漬けにして
養生薬として将軍・御三家・大大名に献上していました。
しかし、井伊直弼が彦根藩主になると牛馬の殺生を禁じたため、
以後牛肉献上の習慣がなくなりました。
井伊直弼が熱心な仏教徒であるために、屠畜を禁じた、と言われています。
水戸藩主徳川斉昭は、毎年贈られてくる牛肉を楽しみにしており、
彦根藩江戸藩邸に使者を出したところ、
国元で牛の屠畜禁止したため、という理由で断わられてしまいました。
そこで、水戸藩は、当藩のために特別に作ってほしい、と
なんども彦根藩に申し入れますが
拒絶されました。
これが理由で、水戸藩と彦根藩の仲が悪くなったことが
桜田門外の変の原因だ、というのが
冒頭の落首(狂歌)です。
この時代の牛は、
食べる目的で肥育した物ではないので、
今の「和牛」とは
全く違う味わいだったと思います。
「日本に住む外国人がハマったJAPANフード」で
いうところの牛肉は
今のサシが入った黒毛和牛のことなんじゃないでしょうか。
一般的な桜田門外の変の背景、原因とは?
井伊直弼のせいで牛肉が食べられなくなったから
というのはかなりの俗説ですので、
一般的に言われている原因を書いておきます。
桜田門外の変が起きたのは、
13代将軍徳川家定が
体が弱く、子供をなすことができなかったため
(大河ドラマの「篤姫」ではうつけを装っていたことになっていますが、
脳性麻痺だった、という説があります)
跡を継ぐ14代将軍煮誰を据えるか?を巡り、
紀州徳川慶福(後の徳川家茂)を押す、井伊直弼を中心とする南紀派と
一橋慶喜を押す、水戸の徳川斉昭(なりあき)を中心とする一橋派との
権力闘争が背景にあります。
井伊直弼が大老に就任すると、
当然、徳川慶福が将軍となり、
さらに、井伊大老は日米修好通商条約を、
時の孝明天皇の勅許を得られないままに調印しました。
一橋派の徳川斉昭(前水戸藩主)、松平春嶽(福井藩主)らが
不時登城という鉄尽くをしない登城をして
井伊大老に違勅を弾劾したため、
、一橋派はかえって厳しい処分を受けることとなりました。
それに対して孝明天皇は水戸藩に密勅を下し、
井伊大老の施政を批判し、諸侯が団結して
井伊直弼を廃して、公武合体と攘夷(外国を追い払うこと)を
密命しました。
これが桜田門外の、普通言われている原因です。
おおよそ、事件の原因とは、原因は一つでないことが多いですから、
もしかしたら本当に
「井伊直弼のせいで牛肉が食べられなくなった」、また
その後の対応が悪かった、ということが
水戸藩、彦根藩の関係を悪くしたのかも知れませんけれどね。