バーフバリ

【バーフバリマンガ】コミカライズ「バーフバリ~王の凱旋」感想

インド映画「バーフバリ~王の凱旋」のコミカライズ版(マンガ化)が、6月23日に発売され、
発売日に予約注文したAmazonから届きました!

感想をざっとまとめると、

  • マンガのベースは完全版ではなくインターナショナル版
  • 映画の躍動感はよく表現されている
  • 映画を見たことがない人には、場面とストーリーが分かりにくい
  • 映画を見た上で、映像とは違う媒体でも「バーフバリ」を表現したものを所有しておきたいファン向きの作品

それで、個人的には、

映画をまだ1回も観ていない人がコミカライズを読むのはおすすめしません!!!

これは、マンガの出来についての批判ではなく、

映画を観ないで読むと、訳が分からないだろうと思われる部分が多いからです。
場面の意味が分からないというよりも、「絵」自体が分からないと思います。

そのため、最初にマンガを読んで、

つまらない→映画もつまらない

と思われてしまうことを恐れてのことです。
マンガがつまらないのではなく、分からないとつまらない、ということです。

コミカライズを先に読んで、答え合わせのつもりで映画を見る、もありかもしれませんが。

ここから後は映画・マンガともにネタバレになります。
ネタバレがイヤな方は読まないでいただきたいので、最初にこのことだけは書いておこうと思いました。

では、以下は、映画もマンガも、バリバリのネタバレありで行きます。

「バーフバリ~王の凱旋」とは?

「バーフバリ~王の凱旋」は、南インド・ハイデラバードで製作された南インド映画。
インド神話のマハーバーラタを元に、
古代インドの大国マヒシュマティ国の、王位争い・復讐・恋愛などを描いた、
神話的叙事詩のスペクタクル映画です。

「バーフバリ」は、
「伝説誕生」「王の凱旋」の二部作で、

「伝説誕生」は2016年12月にインターナショナル版、
「王の凱旋」は、日本では2017年12月にインターナショナル版が公開されました。

日本では特に「王の凱旋」の方が、
絶叫上映などのイベント上映でも大人気となり、
2018年3月にはプロデューサーと監督が来日してのイベントが行われ、
さらに6月からはノーカットの完全版が公開されています。

その流れの中で、「王の凱旋」のコミカライズ版が
出版されることになりました。

こちらが目次です。

作画は深谷 陽(ふかや あきら)氏。私はあまりマンガを読まないので、他作品は読んだことがないのですが、
表紙の絵などを見ていると、画風は好み。
実写映画のコミカライズには適した絵だな、とも思いました。

マンガでは「バーフバリ~伝説誕生」の部分はどう扱われている?

映画館で、「バーフバリ~王の凱旋」の冒頭に挿入されている、
伝説誕生のダイジェスト版とほぼ同等の内容が、マンガの冒頭にも文字のページで入っていて
マンガでは描かれていません。

その後に、登場人物の相関図があります。
カッタッパは、「カリカラ・カッタッパ」となっていました。

マンガのベースはインターナショナル版

マンガを描いている段階で、
完全版が日本にはなかったので当然かもしれませんが、
マンガのベースになっているのは、
20分ほどカットされているインターナショナル版です。

インターナショナル版と完全版では、

デーヴァセーナが、シブドゥ(身分を偽ってクンタラ王宮に使えているアマレンドラ・バーフバリ)への恋心を歌う「かわいいクリシュナ神よ」の有無

マヒシュマティ王宮を追放されたアマレンドラ・バーフバリとデーヴァセーナが、民とともに暮らす場面の曲「ダンダーレイヤー」で、アマレンドラが民のために石を割る装置を設計する様子の有無

などの、ミュージカルシーンが時間的には大きな違いですが、

それ以外にも、
クマラ・ヴァルマ(デーヴァセーナの従兄、とキャプションされていますが、義姉の弟にあたります)がデーヴァセーナに恋をしていることにはっきり言及される場面が完全版にだけある

マヘンドラ・バーフバリがマヒシュマティ王宮に攻め入った後の、カッタッパとビッジャラデーヴァのやりとり

などがあります。

マンガは、短い方のインターナショナル版を元にしていると思われるのですが、
さらにカットされたシーンもあるので、より、「ダイジェスト」感があります。

例えば、
クマラが、「愚鈍=アマレンドラ」(※)に剣を教えている時、アマレンドラがこっそり手を添えたために丸太を真っ二つに切ることができ、夜、デーバセーナがもう一度それをやってみせてほしい、と頼みに来る場面と
そこからのつながりで、デーヴァセーナとクマラが、畑を荒らす野生のイノシシを狩りに行く場面が、マンガではカットされています。

映画では、デーヴァセーナは、狩りの時にアマレンドラがクマラの弓矢を操作していたらしいことを問い詰めようとしてつまずき、それを助けたアマレンドラの手が「剣を握る戦士の手」であると気づくのですが、
漫画では、王宮に着いてすぐ、弓の稽古をしていたデーヴァセーナがつまづいたときにアマレンドラが支えた、という描写になっています。

※アマレンドラは愚鈍であるために家を追い出された若者、カッタッパはその叔父としてクンタラ王宮に使えています。
完全版ではアマレンドラが「シブドゥ」と名乗っていますが、インターナショナル版では「シブドゥ」という名前は出てきません。

映画の字幕では、
バラーラデーヴァの側近が、「バーフバリは愚鈍なものに身をやつしているそうです」と報告していましたが、
漫画では、
「下働きをしているそうです」
となっていました。
私は映画の吹き替え版を見ていないのですが、もしかすると日本語吹き替えがこんな感じなのでしょうか。

コミカライズ版にはある人気キャラクターが登場しません

コミカライズ版では、
日本ではわりと人気がある、バドラ王子が登場しません。

冒頭の、「伝説誕生」の内容を解説する文章中では、

「シブドゥが王宮に火を放ちその混乱に乗じて囚われていたデーヴァセーナ妃を救出し、馬車で逃げるが、
すぐにバドラ王子率いる追手に捕まってしまう。」

といった形で、名前は出てくるのですが、

その後、マンガ本編ではバドラ王子はまったく登場しません。

「伝説誕生」では、
バドラは、シブドゥとデーヴァセーナを捉えた後、デーヴァセーナを侮辱し、
それを聞いたシブドゥが自分でも理由がわからないままブチ切れて、バドラ王子の首を切り落とします。

王家に使える忠実な奴隷カッタッパは、バドラ王子を殺したシブドゥを打とうとしますが、
シブドゥの顔を見て、彼がアマレンドラ・バーフバリの息子、マヘンドラ・バーフバリであることに気づき、
そこから、カッタッパがマヘンドラにアマレンドラのことを語るのが、「伝説誕生」の後半と「王の凱旋」の2/3くらい。

そして、「王の凱旋」では、
望遠鏡(すごい技術ですよね)で見ているバラーラデーヴァの目の前で、
デーヴァセーナがバドラの首を放り投げ、それをマヘンドラが矢で射てバラーラデーヴァの後ろの壁にたたきつける、
というすさまじいシーンあるわけですが、
マンガでは、バドラ王子の首の描写はありません。

確かに、前書きに「首を切り落とした」という説明がないので、
いきなり、首だけ出てきても「なんのこっちゃ」なんですけれどね。

このバドラ王子、
映画でも「伝説誕生」「王の凱旋」通して、決して登場シーンは多くはないんですが、
どういうわけか日本では、バラーラデーヴァの側近で、セクハラ行為のために指と首を切られたセートゥパティと並び、
けっこう人気があります。

マンガの方が分かりやすかった場面も

マヘンドラ率いる民たちがマヒシュマティ軍と対峙する最中、
バラーラデーヴァ王は、プロペラ状に回転する刃がついた戦車(一部で、アホ・戦車と呼ばれております)で
主に見方をぶっ飛ばしながらデーヴァセーナを奪い返しに来ます。

そして、デーヴァセーナの兄・クンタラ国王(クンタラ国は、25年前にバラーラデーヴァにより滅亡、王はレジスタンスを率いて潜伏していました)を、彼女の目の前で殺すのですが、

ここでのデーヴァセーナの表情が、映画ではちょっと読めない感じだったのですが、

マンガの方が、クンタラ王とデーヴァセーナは、最初から覚悟をしていたのかな、
という感じがしました。

一方でマンガでは、クンタラの王族の中でクンタラ王妃がほとんど描かれていないのが惜しいです。

全体の感想

あの映画内容をよくまとめたなー以外の感想が出てきにくく、
せっかくのコミカライズ版なので、
もうちょっとじっくり作ってほしかったかな、というのが率直な感想です。

作画を担当された方も、すごく画力のある方と思われますし、
せめてあと1月くらい時間があったら、より深い内容に仕上がったのではないかと思います。

この中表紙の絵とかすごくいいですし。

同じ題材であっても、映画とマンガ、という媒体の違いがあれば、
表現できるものは変わるので、コミカライズで映画をそのままなぞることはムリだし、
その必要もないとは思います。

私は、海外映画のコミカライズは他に読んだことはありませんが、

例えば、昨年、実写版映画が公開された、
ディズニーの「美女と野獣」では、

アニメ映画

ミュージカル舞台

実写映画

で、「本」「読書」「図書館」というモチーフの扱いがかなり違うんです。

ベルが読書好きであること、
「本」が、イマジネーションとの相乗効果で「いつか、どこか」を夢見させてくれるもの、
あたりは変わらないのですが、

読書を通じて、ベルとビーストが心を通わせる場面の描き方が全く違います。

これは1例で、他にも違いはたくさんあり、

観た人の好みはそれぞれあるでしょうが、
やっぱり、舞台と映像は違うし、
映像でも、アニメと実写(含むCG)は表現できるものが違うんだなあと思いました。

「王の凱旋」も、より短いインターナショナル版をベースにするのは、それならそれでもいいんですが、

例えば、「白鳥の船に乗って」のミュージカル場面を
そのまま絵にしても場面として成り立たないからカットするなら、

別の描き方でアマレンドラとデーヴァセーナの幸せなハネムーンの旅を描いてほしいのです。

マンガだから描けることってあると思うので。

私は、絶叫上映に参加したあたりからお知り合いになった方などを中心に
twitterでバーフバリファン(マヒシュマティ王国民)の方々をフォローしているのですが、

6月21日新宿ピカデリーでの絶叫上映で、
「バーフバリ~王の凱旋」コミカライズ版がプレゼントされたり、
先行販売コーナーがあった、ということ以外、

ファンの皆さま、あまり感想を言わないのは、
「おしいなー」という感想になってしまった、でも、事情も察せられるし、悪く言いたくない、ということかな?と(勝手に)思っています。

(特典のステッカーは、キンブレに貼ると絶叫上映にぴったり)



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